O’Neil of Dublin(オニール オブ ダブリン)は1956年にジム・セクストンとアン・セクストンにより設立されました。
1946年ジムは、彼のキャリアだけでなく、彼の個人的な生活にも刺激的な影響を与える冒険に出発しました。
彼はダブリンの中心部にある衣料品工場でパターンメーカーとして働き始め、建物の最上階にある裁断室で貿易について学びました。
1955年、ジムはアンと出会いました。アンはコーク市の「ドレッドノート・スクール・オブ・ファッション」を卒業しデザイナーとして働いていました。
1年後の1956 年に、<OND オニール オブ ダブリン>を立ち上げました。 それは、生産の専門知識とデザインの才能を組み合わせた健全な業務提携でした。
彼らは 4 台のミシン、裁断台、蒸し器を購入し、ダブリン市の中心部にある小さな作業室に週 30 シリング (約 2.00 ユーロ) の家賃を支払いました。
創設者であるジムとアンの私生活にも多くの動きがありました。
二人の間にロマンスが芽生え、1958 年にビジネスのパートナー、生涯のパートナーとしてジムとアンは夫と妻になりました。ビジネスが成長し続ける中、1961 年にダブリンの旧市街にあるニュー ストリート通りの更に大きな施設に移転しました。 同年、今日まで続くプリーツ ガーメントの生産の大きな礎となっている最初のプリーツ マシンを購入しました。
創業者のセクストン夫妻は2022年現在92歳と93歳となった今でも初期の頃のことをよく覚えているそうです。
ジムとアンはより広いスペースを使用して 1 つのフロアで生産を続けていましたが、事業が拡大するにつれて次のフロアを取得し、最終的に 1960年代後半に建物の3フロアすべてを占有するようになりました。
1976年にダブリン市の再開発計画により、中心部にある現在のコッパーアレイ通りに再び移転しました。 コッパーアレイは、ダブリンの“ジェントリー”向けにオーダーメイドの服を製造する伝統を常に持っていたため、同社がそのルーツに立ち返ったのは当然のことでした。
また、この場所は1742年ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの『メサイア』の慈善演奏会が行われた歴史ある“ニールズ・ミュージック・ホール”がある事でも知られいます。1999年にダブリン市の再開発を支援する為に、建物を取り壊さなければなりませんでしたが、当時の壁の一部の復元が同社の敷地内に置かれています。
ダブリンのコッパー通りのあるテンプル・バー・エリアは城壁で囲まれた文化地区です。現在は創業者の息子であるダーモットとジェームスが引き継ぎ、同じテンプル・バーで世界中の顧客に競争力のある価格で高品質のキルトとプリーツ ガーメントを供給するという誇りある伝統を続けています。
オニール オブ ダブリンの品物は、日本、米国、ドイツ、フランスなどの主要市場で世界中の大切なお客様に着用されています。販売チャネルには、セレクト ショップや専門店、デパートなど多岐に渡ります。
同様に顧客の、アイルランド政府軍のバンドに”サフラン キルト”を、アイルランドの小、中学校にキルトを何年にもわたって供給してきました。
また、世界中の有名人にキルトやスカートを着用している光景が数多く見られます。
ケイティ ホームズとトム クルーズの娘スリは、オニールを身に着けているのが見られました。日本の女優、モデル、歌手、テレビ司会者が OND キルトを着ている例もよくあります。
現オーナーのダーモットは「キルトを特に宣伝する意識的な努力をしたことはないが、有名人が身につけている様子を見ると嬉しく思う。」と語ります。
城壁内のダブリン旧市街の中心部の特別に建設された防音施設内で、伝統を継続している事に誇りを持ち、長い歴史の多くが生まれたコッパーアレイ通りから、これからも事業を継続していくことは大きな意味があるという強い信念を持って今日もキルトを作り続けています。
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